サンゴ礁の海に潜ったことがある人ならば,サンゴの表面に付着するフワフワ・モヤモヤとした物質を目にしたことがあるかも知れません.
サンゴを触ったときにヌルっとした感触を覚えている人もいるのではないでしょうか.
これらはサンゴによって作られ,分泌されたもので,通称サンゴ粘液と呼ばれます.
サンゴ粘液って何?
サンゴ粘液とは,サンゴのポリプ表皮の粘液細胞から放出される粘性と流動性を持つ透明な液体です.
このサンゴ粘液は、主にムチンという糖タンパク質と多糖,脂質でできています.
粘液のもとは褐虫藻がつくり出しています.
褐虫藻からもらった光合成産物の約半分は粘液として体外に排出され,残りの約半分は呼吸と成長に使われています.
サンゴ粘液の主成分であるムチンが粘性のもとになっています.
サンゴはなぜ粘液をだすの?
いったい何のために粘液を出しているのでしょうか.写真をみてください。
空気中に出すと,サンゴは大量のドロドロした粘液を放出します.
自然界では,潮がものすごく引いたときにサンゴは空気中に露出してしまうことがあります.
次に潮が満ちて海水につかるまでの2〜3時間,サンゴは高温や乾燥にさらされてしまいます.
そこでサンゴはドロドロと粘液を出して自分の体の周りをコーティングし,潤いを保つことでこの環境に耐えています.
水中でも粘液を出しています.
一般的に,サンゴはストレスを感じると粘液を出します.
たとえば,砂や泥など共生藻の光合成の妨げになるものが降り積もった場合は,頻繁に粘液を出して不要なものをベロッとはがすことで,体の表面をきれいに保っています.
粘液を出すことで病原菌や付着生物が身体にくっつくのを防止します.
サンゴ粘液には紫外線を吸収する物質(マイコスポリン様アミノ酸)が含まれており,強烈な紫外線からサンゴを守っています.
水流や水温、塩分の変化も粘液を出させる要因になったりします.
さらに粘液には餌をくっつける役割もあります.
粘液に動物プランクトンやバクテリアをくっつけ,それを口に運んでいる様子が観察されています.
サンゴ粘液の形状
サンゴから放出された粘液の大部分(60−90%)は”溶存有機物”として放出されます.
ここでいう溶存有機物とは,目合いが0.2-0.7マイクロメートル程度のフィルターを通過する有機物のことです.
残りのフィルターにひっかかるサイズの”粒状有機物”は,海水や懸濁物と触れると構造的な変化が起きて,糸状,クモの巣状,フロック状,シート状,チュニック状など,様々な形を見せます.
枝状のミドリイシサンゴでは糸状,クモの巣,フロックなどがよく見られ,塊状のハマサンゴではシート状の粘液がよく見られます.
サンゴって粘液をどれくらい出すの?
サンゴ粘液の生産速度は,サンゴ骨格の単位面積(cm2)当たり,単位時間(h)当たりの生産速度として表されます.
これまでの報告では水中における溶存態粘液と粒状態粘液の生産速度は,それぞれ118~675 nmol/cm2/hおよび3~168 nmol/cm2/hが知られています.
サンゴが干潮時に空気中に露出する場合は粘液を大量にだしますが,ある見積もりでは1日に1平方メートルの海底あたりに4リットルの粘液がでると報告されています.
この粒状態のサンゴ粘液は,その粘性で水中のバクテリアやプランクトン,砂粒などさまざまな粒子を効率的にとらえます.
こうして微小なプランクトンをたくさんつけた粘液は,しだいに栄養価値が高まり,魚や動物プランクトン,サンゴガニなどに食べられます.
サンゴの隙間でひっそりと暮らすサンゴヤドリガニは,サンゴ粘液しか食べないと言われています.
サンゴ粘液って放出された後はどうなるの?
粘液は海水中に放出されると食物網に取り込まれ,生態系の重要なエネルギー源としても機能しています.
サンゴ粘液は,その粘性で様々な粒子をトラップして凝集体となり,様々な動物に食べられます(つまり腐食食物網に入ります).
サンゴ粘液はウイルスやピコ・ナノサイズの非常に小さな粒子も効率よくトラップします.
ある実験結果では、1mLの粘液で1分間に2,300ものピコプランクトンを捕らえることができ,粘液中の微小なプランクトンの密度は周囲の海水よりも常に100倍は高くなっていたそうです.
一方,粘液は放出された後は大部分は溶けて溶存態になるので,それはバクテリアに利用され微生物食物網に入ります.
サンゴが空気中に露出して大量に粘液を出した後にも大変興味深い現象が起こります.
粘液は空気を含んでいて軽いので,潮が満ちてくると水面に浮かび,集まって粘液フロートとよばれるものになります.
これにもいろいろなものがくっついていきます.
オーストラリアからの報告では,わずか2時間で有機炭素量は約1,000倍に,植物の色素に至っては2,000倍に増加しました.
さまざまな粒子や砂粒などを捕集した粘液フロートは非常に重くなります.
時間の経過とともにやがて泡がはじけ海底に沈んで生物の餌となります.
海底では砂の中のバクテリアに分解され無機化されて藻類などの栄養となります.
こうしてサンゴ礁のなかでつくられたものは,生態系のなかで循環し,いわばリサイクルされているため,サンゴ礁の外から入ってくる栄養が少なくても多くの魚や生物を養うことができるのです.
サンゴ粘液は生態系において非常に重要な役割を果たしています.
サンゴ粘液を食べる動物にはどんなのがいるの?
様々な魚類,プランクトン,底生動物がサンゴ粘液を食べる様子が報告されています.
たとえば魚類ならハナグロチョウチョウウオ,プランクトンならカイアシ類,底生動物ならソフトコーラルや二枚貝の仲間,クモヒトデ,そしておなじみのサンゴガニなどです.
オニヒトデの幼生もサンゴ粘液を食べることができることが最近わかってきました.
サンゴガニは,サンゴの表面から分泌される粘液を直接すくって食べています.
今後研究がもっと進んで,もっとサンゴ粘液を食べる動物が見つかっていくでしょう.
サンゴ礁の劣化とサンゴ粘液
サンゴ礁が劣化して藻類がはびこるようになると,生態系がどのように変化するかを調べた研究があります.
藻類は水に溶ける溶存態有機物を大量に放出するのですが、 これを食べたバクテリアは急速に増殖します.
こうして大量に増えたバクテリアは水中の酸素をたくさん消費して,周辺にいるサンゴを酸欠で死滅させてしまうことがわかりました.
一方,海の酸性化が進むと,サンゴ礁はかたい骨を持たないソフトコーラルに変わるという予想もあります.
ソフトコーラルも粘液を出しますが,その粘液はバクテリアにとって分解しづらいことが最近わかってきました.
このように粘液を調べることで、将来サンゴ礁がどうなるかを予測しようと研究者たちは考えています。
もっと詳しく!
もっとサンゴ粘液について詳しく知りたい方に.
サンゴ粘液について国内初の総説(日本語)が公開されています.
サンゴ礁生態系の物質循環におけるサンゴ粘液の役割(PDF)日本サンゴ礁学会誌 (2014)
こちらもどうぞ.
JAMSTEC公開セミナー「サンゴ礁と粘液の話(PDF)」(2014年8月16日)